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なくしたくないもの、こと。 [キモチ]

この本は、もうずいぶん昔から、わたしの目に、とても気持ちよく馴染んできた。
ずっと、母の本棚に大切に並べられていたから。

最新号で、目に留まったことばがあった。

「なくしたくないもの、こと」

 日々を支えているのが、「なくなっては困るもの」。
 (中略)・・郷愁は暮らしの根っこをつなぎとめる錨のようなものだとおもいます。
 なぜなら、「取り換えがきかないものなどない」という私たちの思い上がりを、
 静かにたしなめる力をもっているからです。
 後ろを振り返るだけではいけない、
 でも、ただ前を見ているだけでは、 時流に流されるだけになってしまうでしょう。
 ・・「なくなっては困るもの」は、どれも暮らしの錨たる「守るに値するもの」です。

いろいろな人の「なくしたくないもの」が紹介されている。

家族、おばあちゃんとしての知恵、屋号、銭湯、手仕事、絵本、けじめ、縁側、おんぶ紐、
万年筆、かつおぶし削り、近所のパン屋さん、いやだという勇気、醤油さし、力、
小川、手紙。

ひとの思い、感じ方、さらに、人生そのものについて考える。

今、なくなって困るもの。
思いついたのは、つないでいる手。

ある時は、強く握りあい、ともに歩くよろこびを、
ある時は、引っぱられ、一歩、踏み出す勇気を、
ある時は、引っぱることで、勢いがつく。

目にみえるものと、みえないもの。
ほかに代わりがきかない、かけがえのないもの。
そのこたえが、この問いに隠されている気がした。

こたえは、こころのなか。

 「日々の平凡さがもつ価値は、
  失って初めてようやく明らかになるという独特の性質を持っている」

※エプロンメモの中に、「シャワーキャップの利用」というものをみつけた。
シャワーキャップをキャベツなどにかぶせ、冷蔵庫にしまう、というもの。
着脱しやすく便利だそう(笑) さっそくやってみようっと。


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今日という、いちにちから [キモチ]


五歳の自分も、
十二歳の自分も、
二十歳の自分も、
三十歳の自分も、
今の自分の中に潜んでいると思うと、不思議な気持ちになる。

子どもの頃の私は、
ちいさなことで自信をなくし、
ごつごつした悲しみに傷つき、
曖昧さにいらいらし、
自問自答の繰り返し。
毎日のように
小さな波、大きな波は心に押し寄せた。

沈んだ分、水面に伸び上がることを覚え、
あきらめないで、また立ち上がる。

それでも、子どものわたしには、今の幸福を想像することはできなかった。
たのしさは想像を遥かに超えていたから。

これから先も、
目を覆いたいことに遭遇すること、
くよくよして、
つまづいて、
心がはりさけそうになることも、たぶんあるだろう。
そのひとつひとつの感情をちゃんと味わっていこうと思う。

すぐ足もとに転がっている大切なものを見落とさないように。
そして、少し先のほうへ、視線を延ばして。

「たのしむとは沈黙に聴きいることだ。
木々のうえの日の光り。
鳥の影。
花のまわりの正午の静けさ。」(長田弘「心の中にもっている問題」)

38歳。今日からまた、しっかりと歩いていこう。


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運んでくれるもの [キモチ]


一昨日、一年半ぶりにある友だちに会った。
五つ年下の、努力家で賢くかわいい人。
グラフィックデザインを学んでいた彼女は、独特の美意識を持っていて、時々はっとさせられる。
その友だちに会うと、なぜかいつもなつかしい気持ちが蘇る。

数日前、「どうしても連れて行きたい場所がある」と。
待ち合わせは神楽坂。

連れて行きたい場所の一つ目は喫茶店。
仕切りはないが、小さな部屋がたくさんあるようなつくり。
表情がちがう部屋。
机の上にひとつずつ置かれた、存在感ある骨董品のせいかもしれない。
黒い艶やかなミシン(の上部)、大きなざらざらした丸い石(実際砂糖壺として使用)、
壁には、建築用の小道具が面白い角度で絵と並んでかけられていたり。
不思議な空間は、日本的で素朴でどこか馴染みがあるような気がして、
時間を忘れてしまうような場所だった。

二つ目の素敵なお花屋さんは、残念ながらお休み。
ガラガラと開ける入り口のガラスの扉にはりついてふたりで中を覗いてみる。
茶花、山野草、草盆栽、枝ものがずらり。
鮮やかなだけではない淡い、深い緑の落ち着いた場所。
鉢植えひとつ取っても、大切に手入れされ、自立してそこに在るように見える。
間合いの持つ風通しのよさ、その佇まいを、意識して受け継いでいるような印象は、
経営者が男性ふたりと聞いて、なぜかすんなり納得した。
打ち水の匂い、漂う生あたたかい空気が、祖父母の懐かしい庭を思い出させた。

初夏の記念にと、
坂の途中にあるちいさな和蝋燭のお店で、ガーゼタオルを買った。
気に入った二本を手にとって見ていると
「今日の記念にしようねぇ」私の選んだ二本と同じものを手にして、笑って言った。

帰り道、
「そうそう。これ、友だちの名刺。あげる。」
イラストレーターだというその友だちに面識はないが、よく話に出てくる女性。

友だちを通して手にした一枚の名刺。
限りなくシンプル。鉛筆で描かれたちいさなひとつのイラストから伝わるぬくもり。
見てすぐにはわからないが、微妙な形と大きさと色は、ありそうでないもの。
あぁ、すごい人なんだ、とわかる。

ジャズピアニストの旦那さんを持つ名刺の友だちに会いに、
今度は一緒にコンサートに行こうと、友だちは笑って帰って行った。

いつものように、とびきりのなつかしさを残して。


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ときめいて [キモチ]


今日は、友人ふたりのお誕生日。
ひとりは、大阪に住んでいた時の高校時代からの友達。
もうひとりは、成人してから、友人を通して親しくなったRさん。

朝、そのRさんからメールが届いた。
「38歳も、ときめきをもっていたいな」
ドキッとした。
「ときめく」。
思わず、辞書を引いてみた。
「ときめく・・喜びや期待などで胸がどきどきする。心が躍る。」

そうしたら、自分の記憶の中に、ときめいたことを探してみたくなった。

運動会で一番のまま走りきれそうな瞬間。
本の中に広がる世界を知った時。
映画館に入った時。
楽器を吹けた時。
珈琲を飲ませてもらえた時。
大きな犬と仲良しになれた時。
人を好きになった時。

ときめきの感情は、はじめて何かに出会う気持ちに大きく結びついているような気がする。
まだ何も触れられていない無意識のところに、ポコンと感覚が生まれるようなちいさなときめき。
気持ちが口からあわてて出て行ってしまうような、突発的な高鳴りの大きなときめき。
ある時突然、心が生き物のように動き出す。

すばらしいとき

  • 作者: Robert McCloskey
  • 出版社/メーカー: 福音館書店
  • 発売日: 1978/01
  • メディア: -


この絵本は、海辺の別荘でひと夏の休暇を過ごすある家族の物語。
本の中には、いつも、その時間と風景が広がっている。
海と、夜空と、島々の、微妙な色合いを持つ深い青の世界。
もたらされる安心感と静謐さ。

 「波と空を ようく みておくんだよ。
  海の潮の香りを ようく かいでおくんだよ。
  去っていく場所のことを かんがえると、
  すこし さみしいね。
  でも これからいく場所のことを
  かんがえると、すこし うれしいだろ。
  しずかに 思いめぐらすときだ 」

子どもたちは、たくさんときめいて、たからもののような思い出を手に入れた後だからこそ、
胸いっぱいに広がるせつない気持ちになった。
「たからものをわすれないように」というマックロスキーのメッセージがまっすぐ心に届く。

この絵本を何度読み返しても、胸が躍る。
本を開くと、ときめき、本を閉じる時は少しせつなくなる。
 
Rさんから届いたメッセージの件名は、「娘が育てたひまたん」。
開くとそこには、まだまだこれから大きく育ちそうな可憐な向日葵が笑っていた。

    


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いつか、きっと。 [キモチ]

人生には「出番待ち」というものがあると、私は思っている。

せっかく日本人に生まれてきたのだから、
四季折々の暦の流れに寄り添った暮らし、行事、祭事、ことば、
その土地の歴史・文化・風習、ハレ・ケの日、弦担ぎ、土地にまつわる民話、
旬の食材を育て楽しむ、着物、書道、、などなど知りたいこと、やりたいことは数限りない。
だからこそ、いつしか引き出しをすぅ~っと出せるように
栄養をあげる備えの時期だと、今は思っている。

年齢を重ねるごとに、色々なことをさりげなく取り入れ、身につけていければ・・
そんな風に、おばあちゃんになっていきたいと思う。

大学一年生の時、外国の友人に
「日本はどんなところですか?」と聞かれ、
「京都、神社、寿司、、(あぁ、、)東京タワー・・・モゴモゴ・・」なんて
自分でも思ってもいないようなちぐはぐな答えをし、思い切り後悔した。
(「一体、今まで何を見て、何を語って、生きてきたんだ!」)
この友人の求めていたことに咄嗟に応えられなかった自分が
情けなくて情けなくて、仕方がなかった。
その時代の等身大の自分に言えることがきっとあったはずだから。

日本の魅力は、その文化、言葉にしても、いいところもたくさんあるだろう。
それぞれの人が生きた歴史から。
その時代それぞれの暮らしから。

「京都」は幼少時代の私にはとても身近な存在であった。
しかし、実際に暮らしてみたわけではないし、
「京都」の何を知っているかと問われれば、いや、何も知らない。

だが、子ども時代の記憶を辿ってみると、
大阪とも神戸とも違う独特の響きとニュアンスを持つ方言や言い回し、
雅びやかな町並み、そのちょっと入った路地裏の風景や食文化、習慣、
神社・仏閣、ワンシーンごとにではあるが、目に映ったものの印象をそれなりに持っていた。

少しずつ経験を重ね、大人になってきたであろう私が、今京都を訪ねたら、
今の自分が感じた「京都」をちゃんと人に伝えることができるだろうか・・・
たったひと家族の暮らしの片鱗でもいい、
自分が「これだ」と思える何かをその友達に伝えることが。
そんなことを考えていたら、ふと不安になった。
もう大人なのに・・。

改めて、自分が子どもの頃信じた、日本の魅力のひとつ。
まずは、京都に行ってみよう。
近いうちに、きっと。

余談だが、もうひとつの私の夢。
それは暮らしていく中で出遭った人たちと、物々交換すること。
これもいつか、きっと。


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流れる [キモチ]

流れるものを見ていると、だんだんと心が静かになる。

これって、、ある意味集中してるってことなのでは?と最近思いついた。
空を見上げてはぼぉ~っとし、
水が流れているのをただじぃ~っと眺めている姿は、
おそらく他の人には、ただぼけ~っとしたまぬけなヤツに映っているのかもしれないけれど。

その流れるスピードにも大きく左右される気がする。
例えば、雲。
ある日の天高い青空にぽっかり浮かぶ雲。
たまたま切り取られてそこにあるようで、その形はみるみる変わる。
台風や風の強い日の雲は流れるというよりは
自ら意思を持って動いているかのようで心が大きく動かされる。

スピードとキモチ、波長なんかがちょっと合わなくても
目が離せず食い入るように見ているうちに
いやなキモチがすっかり去っていることに気づく時がある。

慰められたり、励まされたり、力が湧いたり、

ほんの少しの時間でくるりと入れ代わるような、そんなキモチってなかなか得がたい。

そして、水。
水のある場所では呼吸がちゃんとできる気がする。
川、湖、海、滝、、プールも!

中でも小さな水の流れを目の前で見ていると本当にキモチがいい。
目と耳からどんどん生まれ変わってくるような気がするから。

ただ動きがあるというだけじゃない、流れているもの。

そんな風にさらさらと流れていきたいものだなぁ~と、大きく背伸びしてみる
 今日も一日 がんばりましょう!


夏至に思うこと [キモチ]

夏至から一日目。

朝からずっと雨。
同じ雨降りでも何となく今日は明るく暖かく感じる。

私はまったくお天気に左右されやすい。
気持ちがへこんでいる時の青空は、余計に悲しいし
いけてる時の雨降りは、気持ちまでみずみずしく明るい。

ちょうど折り返し地点。

一年の後半戦に向けて、栄養分をたっぷり吸って
息を調えよう!


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