ふたりで汗を拭き拭きどうにか喫茶店をみつけ駆け込む。
猛烈な暑さ。
アスファルトからは陽炎が立ち上り、視界がゆらゆら揺れる。
朦朧とした意識の中、父の言葉で目が覚める。
つらいときほどわらえ
そのうち、力が湧いてくる
目の前には昔から見慣れた父の顔。
なきゃないでどうにでもなるさ、と格好良く言い放ちたいが、
この暑い最中そうともいかず・・
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一昨日深夜、ご近所のみなさんが寝静まった頃、こっそり屋根にのぼった。
しばらく寝ころがって星をみた。
ちょっと屋根に上っただけで目に映る景色、感覚はずいぶんとちがう。
おにぎりと麦茶をほおばったり、眠いのをこらえきれなくてしばしうとうとしたり・・
はっと目が覚め、偶然、横に流れる星を「みた?!」と確認しあったり・・。
そんな風にしていたら、子どもの頃、ただの好奇心のカタマリだった頃のことを瞬時に思い出した。
玄関からちょっと庭先に布団を持ち出して、兄と一緒に月と星の観察をしたとき、
日常とはまったくかけ離れた世界があった。
深夜の世界が存在するなんてしらなかった。
ただ胸は高鳴るばかり・・。
ちょっとした冒険。
だけど、今回は格別に発見と勇気が強くのこった。
日々そりゃ色々あるけど・・、でも、たいしたことないさ。。
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「音楽は人類誕生のはるか以前からこの世にあった。
言いかえれば、音楽は人類がはじめて作ったものではない。」
海洋生物学者のコトバが印象に残る。
”目にみえない”ものについて思いをめぐらせているせいか、引き込まれるように観た。
映像に、自分もふっ・・とその場にいるかのような錯覚をおぼえたり、
記憶に沈んだ何かに振動し、細胞がふくらむようなみずみずしい覚醒にはっとしたり。
自然とのつながりの中でつかまえたみえない音の音色やゆらぎのわけを聴きに、
遠くワープしたよう。
音の波。
シタール、ピアノ、チェロ、鯨がうたうウタ、
向こうから流れるやまない音のふるえ。
みえない音をつかまえる。
本能の反応。
何かに触れられてはじめて眠り続けていたものが目覚める。
風が梢を撫でるように。
そんな気づきと似ているような気がした。
命を生み出した大きな存在に身をゆだねることはむずかしいことじゃないのかもしれない。
人間として生きるということを思いちがいしないようにしなくては。
めずらしく即買いしたこの映画のサントラ盤を聴きながら、傾いてしまったわたしの心を
取り戻したい。
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土の中に気配は感じていたが、棉をぐっともちあげてぴかぴかの新芽が顔を出した。
生まれたての緑のまぶしいこと。
あっちでもこっちでも・・か、かわいいぞ。
ルッコラやオクラも。
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お店の方に土のことでちょっと質問してみたら、期待した以上のずっとうれしいアドバイスを
いただく(しかも必要最小限の会話で)。
すばらしい・・。
言葉数少なに、必要なことは的確に(翌朝、また行った)。
どういう場で働いていても、こういう人の存在は大事だな・・
こういう場面で信頼を寄せられる人に出会えたことは幸運だ。
植え替えは毎年やってはいるものの、今年はちゃんとすべてやることにした。
ちょっとした時にいただいたハーブ(水に挿していたら根がついたもの)や種がとれたルッコラ、
先日Uちゃんからわけてもらった和棉の種、オクラとトマトの種もまいた。
気づいたら、いつの間にか鉢やプランターはあわせて二十以上になっていた。
結婚を機に仲間入りしたオリーブの木もそろそろ10年を迎える。
オリーブの木に関して、そのお店の女性からちょっと楽しみな提案を。
オリーブの鉢の表面に、すっかりたくましく育ちすぎたアイビーを植え替え、一年草の花の種を
ぱらぱらまいてみたら、と。
オリーブは(葉が茂らないので)アイビーのおかげで暑さからしのげるし、
花も咲いてみんな共存でき、楽しめるということ。
それならばと、早速やってみた。
花は、ハーブの種類の一年草の種をまいた。
ちいさい淡い青色の花が咲くそう。
葉は料理やお茶にもできるらしい。
たっぷり丸二日間、ひさしぶりに土の匂いとふかふかした感触をあじわいながら
植え替えを楽しんだ。
陽にはやけるし、翌日の筋肉痛っていったらないけれど、この充実感はなんだろう・・。
自分の細胞が喜んでる感じがする。
10匹だったメダカも第四世代、ミナミヌマエビも第三世代が次々誕生し、
何の気なしにほうりこんだ水草も白く可憐な花を4つも咲かせている。
こんなとき、命あるものについてしみじみ感じ入る。
人から分けていただいた種が発芽し、また誰かの手にぽんと手渡せる日がくるといいな。
それにしても、芽が出ないかな・・あ、ひょっとしたら出てるかも・・と気もそぞろでまったく落ち着かない。
ついふらふら~と何度も見に行ってしまう。
サツキやメイの心もち・・
あぁ、いっそのこと土壌がほしい。。
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この夏、40代へ。
その前に一度ゼロからはじめたいような清々しい心境になっている。
カラダも心も、新しく、というような。
さて、体力づくり、自分づくり・・と。
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「あなたが何であるか」は、神からあなたへの贈りものです。
「あなたが何になるか」は、あなたから神への贈りものです。
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今読んでいる本の中にしんと横たわっていたものが、くいっとひっかかった。
ずっと昔、祖母や母の口から何度となく聞いた気がする。
心もようも、今鮮やかにおきあがる。
こんどは、いちりんの花のもつじかんを、旅する。
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先日見た芝居中の教頭先生の台詞に、じーんとした。
昨年小学校と関わって、今現実にいる子どもたちは、舞台の子どもたちより
もっと大人びた目をしているけれど、先生の中にはそりゃいろいろな人がいるけれど、
”先生になりたい”とはじめて思った気持ちにそうブレはないはず。
そして、子どもはどれだけ時が流れても、いつも同じように敏感に生きている。
この日、目の前が大きく水を掻いたように、広がった。
冒険心。
自分自身がこのキモチをいつまでも失わないでいよう、そう強く思った。
母74歳に、おめでとう。
誕生の日に、ありがとう。
・・・
ゆっくりでいい
蕾のままでも
時期を待って、
ゆっくりと花を咲かせられる、そのときがくるまで。
隣に座った人に”貝”をあげたら、”沖縄の貝のふたとココナッツマカロン(手製の)”を。
あぁ、大好きなブツブツコウカン・・。
uちゃん曰く、「綿の花の中から種をとって、5月頃植えてみてくださいね」。
この綿のようにまっさらなuちゃんを思い、わたしも大切に育てよう。
しあわせの時間は、つながり、続いていく。
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一瞬で思いもよらなかったよろこびに満ち、細胞が飛び跳ねる。
遊びの道具なんてたいして必要じゃない。
基本はいつも変わらず、自然の中(自分のそば)に、自分の中にあると思える。
そぎ落としても残っていくものは、簡単で単純なところにある。
そういうことを真ん中に置いていたい。
特別なことではなく、日常の風景のちょっと向こう側へ・・目をやれば
いきなり自由の窓がひらく。
太陽に一歩、近づくように。
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よく花屋に入ると、いっせいにはじけるような笑い声を聞いたような錯覚を起こす。
小学校の休み時間のわんわんした音を遠くで聞いたような・・
今日の花屋には、普段の生活の中にはないまぶしいくらい明るい春色たちが勢ぞろい。
そして、やっぱり今日も話しかけられているような気がした・・。
まだ風が冷たく感じられるので、みずみずしい表情と春の生気にふわっと包まれた。
久しぶりに花を買おう、そう思うと心は弾んだ。
さて、どんな花にしよう、この時期こでまりとミモザはいいな、はなやかな色も・・
引かれたのは、店の奥まった場所に在った彼岸桜。
ごつごつした枝の重みを腕に感じながら、花屋を出た。
さっきより一段明るくみえる光の中を歩いていると、あら桜ねぇと笑ってくれた人がいて
さらに弾んだ。
ちょっとおまけに今日春を運ばせてもらえたような気がして。
覗き込むと、可憐なつぼみがふくらんでいた。
静かに。
髪を切りに、
人に会いに、
風を感じて
ただひたすら歩く・・
そのうち、カラダの奥深くまで風が舞い込んで
あたらしいリズムをもちはじめたことに気づく
(げんこつ(右手)を振り上げるワニに見えてしかたないので・・)
約一年、かかわりあってきた子どもたちとの「図工のじかん」。
その集大成の場が誕生する。
まさに今、連日展覧会場に子どもたちの作品を運んだり、並べたり、椅子や机を布でくるんだり・・
ひとりひとりのアートスペースを設けたり・・。
体育館が、グラウンドが、まるでギャラリーのように夢のような場に生まれ変わりつつある。
関わっている自分が言うのもなんだけど・・圧巻!
なかなかお目にかかれない風景である。
子どもたちの手から命を吹き込まれた”ココロのうた”や”イスにすわるオヤコ”
”2046のヒーロー”・・会場に渡した長い線路の上をのどかに”ズンズンガタゴトどこ行くの?”が
走りまわる・・そんなものたちが、息をひそめて出番を待っている。
ご興味ある方はぜひ!お越しください(場所など詳細はよろしければメールください)。
子どもたちの”ココロのうた”から、自分の中に息づく”子ども”が動き出すなんてことがあれば・・
こんなにうれしいことはありません。
この場を通じて知り合えた方と、お会いできたらうれしいです。
(わたしは、9日~11日はすべての造形フェスタに参加するので
どこかしら駆け回っているはずです)
(※展覧会は11月9、10、11、12日(9、10、11日は全校造形フェスタ開催)
今年度は小学校が80周年にあたり、12月2日まで一般公開されます)
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あそこにもここにも
ふらふら揺れて・・
それでも、自分の色を知っている
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