負けるが勝ち [記憶のトビラ]
自分がいちばん得意だったこと、ゆずれなかったこと、
はじめて追い抜かれる悔しさを知った12歳の時。
当時陸上部だったわたしは、走ることでは誰にも負けたことがなかった。
ほんの自分のぐるり、ちっぽけなお山でのこと・・なのに密かに天狗になっていた。
ほかに得意なこともなかったから、なおさら走ることにどこか懸けていたのだと思う。
はじめての地区予選大会決勝の日。
言うまでもなく打ちひしがれて帰宅。
家族の誰もが予想通りだと思ったはず。
わたしだけが半端なショックどころではなく、
羽をもがれたような、この世の終わりを感じていた。
しょげたわたしの顔を見て母のコトバ。
「しょせんそんなものよ。上には上がいるってこと!また次がんばればいいじゃない~」
・・さらに沈んだ。
ごはんもろくろく喉を通らず落ち込んでいたら、
父が部屋に来た。
「はじめての負けはくやしかったろう。でもよかったな、
せっかく負けたんだから元気出しなさい」
と言った。
・・・まるで意味がわからなかった。
「こいつにはかなわんなぁ・・って思わせる友だちがいてな、
お父さんは中学生の時、一生懸命頑張ってそいつに勉強もスポーツも勝ったと
思ったんだけどな・・
それでもずっと負けた気がしてならなかったんだよ」
笑いながら言った父の言葉が、今も鼓動しつづける。
負けたことで、成長したんだな~。
ちっぽけな井戸の中で負けることを知らなかったのは私も同じ。
私は性格がひねくれているというか、ちっぽけなプライドがあるというか
負けて悔しがってることなんかも、誰にも知られたくなかったの。
だから、県大会で一位になれずに(←当たり前・・(^_^;))
泣きたいときでも、平気なフリをし続けることで、自分を保ってた気がする。
そして、必要以上に謙虚になって、あらゆる勝負から逃げた。
ガタガタと負ける前にやめてしまえ!的に、逃げてしまったのだ・・・。
目先の順位しか、見えてなかったんだなー。
今思うと、勝負に勝っても試合に負けたような私だったよ。。。
by ニコ (2006-07-14 08:36)
「人間の強さ」とは何か、それは「勝ち進むことではなく、負けて倒された時に、それを乗り越えいち早く立ち上がること」だと思います。
「負けてたまるか」は、負けた時に大声で叫ぶ呪文なんです(笑)
by ちょんまげ侍金四郎 (2006-07-14 09:29)
その瞬間にそれだけ自分に自信を持たせてくれる
ひとつの才能に出会えたことが素敵だと思う。
上には上がいても、
やっぱり人には自信が必要だから。
誰かと比べるのよりも、
自分の中でこれはできるって思えることがあるってこと。
そんな強みに出会えた幸せがシアワセかも。
今の私には、ノー天気さ具合かな。
by ふう (2006-07-14 21:12)
*ニコちゃんへ*
”誰にも知られたくないキモチ”、たぶんわかると思う。
ちょっと話がズレてるかもしれないけど、
”負けん気”の話(が強いと言えるものかわからないけど)。
例えば、歯が痛いとかお腹が痛いとか怪我をして血が出てるとか、
そういうことでもひとりでぐっとこらえてガマンするようなところが
あった。
弱みを見せないというよりは”手がかからない”アピールを装いたかったのかも。
>勝負に勝っても試合に負けたような・・
泣きそうになった・・
でも、ニコちゃんからは、子どもだろうが自分で選んだ勝負という潔さが感じられた。
プライドは必要なときがある。子どもであろうと。
わたしは、親や先生にほめられた経験がほとんどないから
余計に奮い立たせるものを必要としたのかもしれない。
”走る”という行為は、当時の自分にとって生きていることを感じる
すべてだった気がする。
by 月うさぎ (2006-07-18 01:07)
*ちょんまげ侍金四郎さんへ*
”強さ”という言葉、取りつかれたように(笑)あこがれた時期があります。割と早い時期に。
あまりの緊張で初レース、スタートできず(固まったまま)退場になった経験があるので(苦笑)己の精神の弱さをたたきなおしたい、強くなりたいといつも願っていました。
「負けてたまるか」、たしかにものすごく効きそうな呪文。
ちゃんと声に出して言います!
by 月うさぎ (2006-07-18 01:14)
*ふうさんへ*
思わず何度も読み直してしまいました。
ふうさん、うれしいコメントをありがとう。
どの言葉もビンビン響きました。。
人にはいつの時も、自分を支えてくれる自信って必要ですよね。
ちっぽけに見えても、ふうさんが書いてくださった”強み”に感じられるようなもの。
刹那的だけど、そんな小さな助けが未だに毎日必要かも・・。
by 月うさぎ (2006-07-18 01:20)